思考する傍観者

 溜まっていた書類を片付けている最中だったはずだ。
 いつも通り先輩である荒神香太や浅葱卯吉、砂渡蒼天といった濃い人物が溜めに溜めて置いていった書類を、ほぼ同期といって差し支えのない、けれども自身より先輩であり生真面目な鳳晴賢とその書類を片付けていたはずだった。それは昼食を終え一息ついた昼下がり。襲い来る眠気を必死に振り払いながら始末書やら報告書やらを纏めていると、ちかり、と何かが脳内の端でちらついたのだ。
 そこからぐらりと頭が回ったような気はするが、どうしてこんな状況に陥ったのかが全くわからない。

「特高だ! 特高だぞ!!」
「出て行け! ここはお前らにやるもんか!」
「何が高等警察だ! 政府の犬め!」

 一体何がどうなってんだ。一言でいうならこれに尽きる。
 目が覚めれば人に囲まれ、口を開こうとしたら殴り掛かられ、それを避ければ現状である。これぞ本当の鬼ごっこ、とでもかつての上司なら笑うのだろう。しかし肝心の鬼である自分が追われているのはなんとも言えない奇妙な心地だった。
 進む道、通る路地で瓶を投げられ石を投げられ、中には鉄筋だなんてものを投げてくる者だっている。一体俺が何をしたっていうんだ。というか、こんなにも特高は憎まれる存在だっただろうか? 追いかけられ逃げつつも、東鬼はその違和感を感じずにはいられなかった。
 そして一体ここはどこだろうか。少なくとも自分の知る西京都ではないだろうことは、建物の感じや人々の服装から推測することはできる。木造の建物が多く、和服を来た少女から青年までがわんさかといるここは、しかしそれでもどこか廃れた印象をもった。まるで荒川城砦ができる前のような。

「このっ、二度と来るな!!」
「あぶねっ」

 がんっ、と派手な音を立てて投げられたアルミ板をとっさに左手で地面へ叩きつけようとしたとき、辺りを一瞬、閃光が走った。

「うわぁ!」
「こいつ、鬼子か……!」
「相手にすんな、逃げるぞ……!」

 今まで追いかけてきた人々は蜘蛛の子を散らすようにわらわらと去っていったが、東鬼はその場で己の手と一部分が黒く染まったアルミ板を見て、すぐにでも動くべき足が止まった。

(戻っ……てる? いや、威力は小さいがなぜだ?)

 西京へと地獄から生まれ落ちて、この世界で異能と呼ばれる能力は全て消滅したはずだった。実際、これまで業務をこなしているとき何度も癖で能力を使おうとしても何も起こらなかった。それが一体、なぜ。

(いや、ここで考えるのはよそう。また追われても困るしな)

 頭を振り払い考えを一時的に隅に追いやると、留めていた足をもう一度動かし、明るい方へと周囲を警戒しながらも歩いていくのだった。


   *


『デモ隊員たちは直ちに解散せよ! 繰り返す。これ以上の犯罪行為を続ける場合、我々は武力介入も余儀なしとする。デモ隊員たちは直ちに解散し、天照神国、もとい特別高等警察の元に下られよ!』

 拡声器から放たれるその重々しくも棘のあるその声明に、東鬼は眉をしかめることとなった。彼らの声明にははっきりと、デモという言葉が含まれていた。この西京の世界においてデモといえば荒川デモであるが、それはもう数十年も昔の話である。ここに来て一度隅に追いやった思考が戻ってきた。
 発展していない建物、人々の身なり、デモという単語、嫌悪される特高。そして、『鬼子』と蔑まれる亜人たち。
 ありえない話である。時の流れは洋々にして、それを遡ることは決してありえない。それは長年魂たちを裁き、還し、見送る職に就いていた東鬼にとって絶対の理であった。しかし見れば見るほどに、今彼が立っているこの地は“荒川デモの最盛期である天照神国”なのだ。
 ちらついた光と回った頭。それらがこの地へと運ばれてきたことと関係はあるのか。そしてなによりも不可思議なのは東鬼の能力が多少なりとも戻ったことである。

「お前、ここで何をしている」

 自分がここに来ることとなった経緯について考えていると、後ろから突然声を掛けられた。細いものの高い身長、それでいて色素の薄いその顔はどこかで見たような、そうでないような。幾度もの魂を見送っていると、その姿形はあやふやになる。いちいち魂のことなど覚えてはいられないが、それでもどこかで――少なくとも元いた西京都で――存在し、見かけたことのあるような人物だった。

「ぼんやりとするな。早急に持ち場へ戻り仕事をこなせ」

 どうやらこの人物の前で考え事をするのはタブーのようだ。大きなその目を僅かに細める様子から見るに、よほど勤勉な男なのだろう。

「いやあ、すみません。追われているうちに戻ってきてしまったようで……。ええと、つかぬことを伺いますが、俺はどの持ち場へ戻ればいいでしょうか?」
「知らない。デモ隊の近くにいたのなら鎮圧の類じゃないのか」

 デモ隊、鎮圧。やはりここは過去なのだろうか。

「ああ、そうでした! 思い出しました。それでは俺は持ち場へ戻ります。失礼します、先輩」

 だとするならば、恐らくこの時代にはあまり干渉しない方が得策だろう。
 元きた道を戻りながら、さらにその先の思考へと耽る。

(もし俺と同じように、現代からこの時代へ来たやつがいるとしたら……)

 時の流れは洋々にして。時代の流れを守る為にはこの時代へ干渉しないよう伝えなければならない。ひいては、この時代に還る魂たちのためにも。
 じっと背中を見つめるその視線を気にすることもなく、東鬼は路地裏へと入っていくのだった。


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浅葱卯吉くん、砂渡蒼天さん、荒神香太さん、鳳晴賢くん
→名前だけお借りしました。

社千曲さん
→少しお話させて頂きました。