不穏因子、発見

「さあて、どこに潜り込むべきか……」

 夕日色の頭を乱雑に掻きながら、東鬼は途方に暮れていた。いや、思案していたというべきか。
 唐突に放り込まれた過去にて彼が持っているものとすれば、仕事で使っていたボールペンと普段から持ち歩いている警察手帳。以前誰かから貰った飴ひとつと、使い物にならなくなった懐中電話のみである。着替えも何も持っておらず、特高として暫く働くのはいいとして、金も何も持っていないこの状況は非常にまずい。さらに言うならば、恐らくこの事象に自分一人が巻き込まれたという可能性は低い。つまり、勝手に誰かを助けたり、騒動を起こす人物も紛れてしまっている可能性が高いことだ。もっと勤勉な性格であったなら、それだけで頭痛が起きてしまうほど不安な材料はいくらでもあった。
 デモ隊の中心地から離れ路地裏へと歩きながら、ちらりと後ろの喧騒を見やる。それぞれが取っ組み合いながら、特高ともデモ隊ともつかぬ人々がそこらじゅうに倒れている。一部の者を除き女子供は家に隠れ、必死でその喧騒から身を守ろうとしていた。さながら獄卒が罪人を拷問しているかのようなその風景はどこか懐かしくも思えるが、人の愚かさの象徴ともとれた。眉間に皺を寄せながらも、干渉することのできない歯がゆさに襲われる。
 ふと前方へ視線を戻すと、一瞬見覚えのある何かが視界を横切った。

「へえ、この辺って昔はこんなだったんですねぇ。今と全然違う」
「呑気なこと言ってる場合ですか……。どうするんです。このままじゃ俺たち野垂れ死ぬことになりますよ」
「大丈夫ですよ。人間水さえ恵んで貰えればそれなりに生きれますって」
「朝倉さん妖怪じゃないですか」
「似たようなもんですよ」

 聞き覚えがある。どうやら二人組で行動しているらしい片方の声は分からないが、もう片方はそれなりに一課に顔を出していた人物のはずだ。予想があたっているとすれば嫌な予感しかしない。東鬼は先ほどよりもさらに眉間に皺を寄せて、その人物たちがいるであろう曲がり角へと向かった。

「ああー……」

 的中してしまった。なぜこの人が巻き込まれてしまったのか。二人組を確認した東鬼はそんな思いをないまぜにした声を思わず出してしまった。それに気がついた二人が後ろを振り返る。

「ん? あれ、あんたって……」
「知り合いですか?」
「どうもお久しぶりです、朝倉さん」
「東鬼、でしたっけ」
「覚えて頂けてたようで」

 聞き覚えのある声の人物は、同じ課の先輩である詠谷征彦となんやかんやで情報共有をし、一課に顔を出している朝倉椋之助その人であった。大して関わりを持ったことは無いのに名前を覚えられており驚いたが、それよりも気になるのは彼女の隣にいる人物だった。ふと視線をやると相手も同じことを思ったのか、視線が合う。

「ええと、俺たちと同じところから来られたんですよね……?」
「ああはい、どうやら。一課の東鬼といいます」
「鑑識課の日佐です」

 実に完結に自己紹介を済ませると、朝倉はにやりと笑みを浮かべつつ東鬼に詰め寄った。

「いやあ大変でしたねぇ、以前の上司。いきなりの職務放棄ですもんねぇ」

 話を振られた時点で頭を抱えたくなったが、精一杯それを自制し、はあ、とだけ回答する。そういえばこの人は“そういう”能力の持ち主だった。

「東鬼はこの時代生きてたんですか? それともこの時代も地獄で仕事してた、なんて言います?」

 釣れた魚をいいように弄ぶ人だったな、と思い出しながら、東鬼は自制することもできず頭に手をやった。好奇心の塊であり、恐らく現状最も不穏な因子である彼女の問いにしぶしぶ答える。

「後者ですよ。現役の獄卒でした」
「へえ! じゃあこの時代について詳しいんですね! どうです、荒川デモってどんな感じです!?」
「俺の働き口は地獄だったんで、こっちのことはそんなに詳しくはないですよ。……ただまあ、戦争にデモにと、死人が多くて忙しかったことだけは確かですけどね」

 てんやわんやの日々を思い出しながら回答すると、それでもまだまだ興味は尽きないのか朝倉は爛々と目を輝かせている。地獄だなんだ、自分と関わりのない世界についての話を聞くのは彼女にとって面白いのだろう。
 これは元の時代に戻ったとしても絡まれそうだなあと予感しつつ、次の言葉を発しようとしている彼女を遮った。

「質問はこの辺でいいでしょう。今はそんなこと言ってる場合じゃないですし」
「東鬼さんの言う通りですよ。朝倉さんはもっと現状に危機感を持ってください」
「なんですか、二人そろって。特に窮地に立たされてるわけでもないのに」
「立たされてますよ、窮地に!」
「だから大きな声出さないでくださいよ!」
「さっきの朝倉さんよりましですよ!」
「喧嘩しないでくださいよ……。何にしろ、お二人にお伝えしたいことがありましてね」

 ああ言えばこう言う言い争いに終止符を打ち、しぶしぶ東鬼に向き直った二人を前にして、一番大事なことを伝えるために息を吸う。

「元獄卒としていいますけど、なるべくこの時代には干渉しないでください。特に、朝倉さんは」
「は?」
「過去と未来は一本の線みたいなもんなんですよ。ここで誰かを助けたり、又は誰かと争ったりしてうっかり生死が変化したら大変なんです」
「元の時代に戻ったとき、いる人がいなくなったりするって事ですか?」
「転生してるはずの魂が転生出来なくなったりするので、ありえない話じゃないんですよ」
「っつーかそんなことより。特に自分は干渉するなってどういうことです? 人を危険人物のように……」
「事実じゃないですか」
「魚は黙ってろ!」
「魚じゃありません!」
「とにかく!」

 またしても言い合いを始めた二人に割り入って、再度警告をする。

「俺たちのいた世界が恋しいなら、デモを始めとする騒動に首を突っ込まないでください。いいですね」
「あーはいはい。わかりましたよー」
(絶対分かってないなこの人……)

 好奇心旺盛で爆弾のような自由人を相手にすることがいかに疲れるか、詠谷の苦労がどれほどのものなのか少し理解したところで、それでもまあ何とかなるだろう、と彼女の隣にいる日佐を見ながら思った。いざという時は彼が何とかしてくれる。多分。
 ふと視線が合い、朝倉さんをよろしくお願いしますねという意味を込めて軽く頷くと、了承したかのように重々しい頷きが返ってきた。

「あ! あの店、この時代からあったんですねぇ!」

 既に東鬼の警告とはさよならしたらしい朝倉は、さっそく周囲の建物に目を向けてははしゃいでいる。その様子をみて、ふたつ同時にため息が落ちた。


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