覆水は流れ続ける

「みぃーちゃったっ」

 長い長い大内裏の廊下を歩きながら、螢はにこにこと上機嫌だった。
 白鷺塾襲撃後の彼女に任されたのは捕虜となった塾生たちの見張りであったが、うらわかく野心家な彼女がその任務だけで満足するはずもなく、自身を構成する目のうちの数個を大内裏の周囲と中へ漂わせていた。約8割ほどの情報量を得るといわれる視覚を多数もつ彼女は、その能力を使って白鷺塾側の侵入経路や、他の妖怪たちの様子を見ていたのだ。浮浪の身であった彼女が今後のためにのし上がるには丁度良い機会であり、烏滸大帝に近づくだけでなく他の貴族たちに情報を売ることによって得られる信頼は、その後の地位を確立させるためにとても役に立つ。そうしてさっそく、<役に立つ>情報が得られたのだ。
 大正水流静恵。大正水流家の盲目的信者の彼がどういう経緯かは知らないが、白鷺塾の者たちと密会を交わしていたというのは面白い。それもどうやら何度か会話を交わしているようで、彼ら、もしくは彼女らと何らかの計画を企てているようにも見えた。――いや、それは螢が「そうあればいい」と思ったからなのかもしれないが。見たもの、聞いたものは、いつだってその人物の主観に左右されるものだ。
 上機嫌に廊下を歩きながらも、さて一体この情報を誰に渡そうかと考えに耽る。大正水流家のものに渡せばそれはそれは血を見るような面白いことになりそうだが、当主である譲葉に進言するのはどうにも気が乗らない。すけべじじいにバージンを奪われるだなんて死んでも御免だ。そのためには近寄らぬが吉だろう。かといってその妻たる老倉大工廻に進言したとして効果はあるのかと聞かれれば首を傾げる。果たして当主に告げるのかそれとも自身の手で静恵と決着を付けるのかによって後々の立場は変わってくるだろう。

「うーん、どうしよっかなあ」

 ううん、と考え込む螢だったが、前に立つ天邪鬼の警備員を見てはたと思いついた。
 自分から直接言いに行かなくても、手紙という手があるのだと。
 そう思い立つと前に立つ妖怪にごめんください、と声をかける。

「そこの警備のお兄様。ひとつ頼まれていただけませんか?」
「ん? なんだ小娘。お前どこの者だ」
「捕虜の見張りを頼まれてたんですけど、ちょっと面白いものを見ちゃって。文を渡して頂きたいんです」

 天邪鬼はうさんくさそうに螢を見ると、明らかに庶民の格好である螢を見下して言葉を放った。

「ばか言え。庶民がこんな場所にいられるわけないだろう。お前名前は。どこから入ったんだ?」
「だから、見張りを頼まれた者なんですってば……。そういえば、お兄様」
「あん?」
「以前、貴族のご令嬢と逢引してませんでしたかあ? ほら、春日小路の辺りの小川にかかる橋の上で……」
「ああー!! あー! あーっ!! おまっ、どこで知ったんだそんなこと……!」

 突然叫びだしたかと思えば小声で尋ねてきた彼に、螢はウィンクひとつで誤魔化してもう一度お願いをする。

「頼まれてくれますか?」
「ぬぬ……。まあ、そんなに言うなら、頼まれてやらんでも……」

 その答えににっこりと笑って、それじゃあこれ、よろしくお願いしますねと小袖から出した紙に文字をしたため、大正水流家当主である大正水流譲葉へと文を送った。
 正直どうするのが一番良い情報の使い方なのかは分からない。けれど、どうせ流れてしまった水は元には戻らないのだ。後悔することになろうとも構いはしない。
 そうと決まれば今は他の妖怪たちに手を貸すのがいいだろう。くるりと踵を返して今まで来た道を辿っていく。
 今や大内裏の周囲で暴れまわっている塾生たちに戦々恐々としている味方に、彼らの侵入経路を報告して何としても人質を奪われないようにしなければ。


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大正水流静恵さん、大正水流譲葉さん、老倉大工廻さん
→お借りしました。
ほんのりとこちらの流れを汲ませていただいています。
不都合ありましたらパラレルとして扱ってください。