猩々緋の凌辱を飲む

 ばきり、ばきりと微かに音を鳴らしながら、綺麗に整っていた爪を噛み切る。見るも無残になった歪なそれは、今の螢の心境をまさに示していた。
 自分という監視役がいながらまんまと捕虜を奪取されたばかりか、大内裏を明け渡すような真似をしてしまったストレスが大きく心を乱す。情報を駆使して迎え打てなかったことに対しての苛立ち、狭く息苦しいこの空間にすし詰めになっていることも、彼女のストレスの一因となった。
 ばきり、ばきり。もう噛む隙間などないほどぼろぼろになった両手の爪を噛みながら、必死に考えを巡らせる。本体から離れた彼女の目は結界を貼られた大内裏の中を見れるほどの力はなく、一体いつになったら、どうやったら奪い返せるのだろうかと考え続けている。
 占拠された大内裏を何日か見ているうちに頻繁に出入りする者がいることは分かっているが、だからといって塾生たちが非常に少なくなるなどの大きな変化があるわけではない。彼らにとって活動時間である昼間が最も人が少なくはあるのだが、こちらにとって有利となる夜間に攻撃が仕掛けられないのはとてつもない痛手でもあった。
 うう、やらああ、やらうめき声が聞こえる法輪寺の建物内にいたが、やがてその声にすら苛々が増して行き螢は敷地内の外へと足を向ける。噛む場所のなくなった爪に代わって、今度は自身の指の関節あたりをあぐあぐと食みはじめた。
 障子を開けた林の向こう、いつの間にか日も傾き茜色に染まる空を睨みつけていると、後ろから複数の足音が螢のすぐそばで止まった。指を口元から離して後ろへと振り向く。

「よお、嬢ちゃん……。よかったなァ怪我もせずに済んでよ」

 そこにはいつか見た天邪鬼の男が一人、その後ろにさらに天邪鬼や一本だたら、牛頭鬼などの妖怪が立ち並ぶ。皆腕や足、顔などに怪我をしているようだ。

「嬢ちゃんのおかげで俺たちはこんな有様よ。一体どうしてくれるってんだい? あぁ?」
「お前が陰陽師たちのいる場所に行けなんて言わなけりゃあな、俺たちは怪我なんかしなくて済んだんだよ」
「ナカマも、タクサン、コロされる、しよ」

 どうやら行き場のない苛立ちを螢にぶつけようとして来たようで、彼らは口々に愚痴を零す。しかしそんなこと知ったことではない螢からしてみれば八つ当たりもいいところで、ついでに彼女の虫の居所も悪かった。

「はぁ……? 何よあんたたち。ロクに役にも立たなかったくせにばか言うんじゃないわよ!」

 まさか反撃されるとは思いもしていなかった妖怪たちはそれぞれビクリとその顔を強ばらせた。そこにいつぞやの混乱の時に情報を提供したうらわかき少女の面影はない。

「大体わたしがせっかく情報渡してあげたのに、その体たらくはなんなの? わたしに八つ当たりできるほど活躍したの? 寸でのところで大帝の命でも守ったのかしらぁ?」

 強く赤く燃えるその目が放つ気迫に押されてか、彼女が妖怪たちの方へと一歩あるくたびに、彼らは一歩下がらざるを得ない。一回り、下手をすればふた回りも年下の少女に言い寄られて怯える姿に、螢のイラつきも増していく。

「能力もない、実力もない、権力だけが取り柄のあんたらが、わたしに文句なんて言えるのかしら? 大体そんなに口が動くなら大内裏を取り返しにでも行ってらっしゃいよ!!」

 武家の出が情けない、とばかりに吐き捨てると、うう、と唸るばかりしかできない彼らに背を向けて法輪寺の中へと戻っていく。自分以上に苛々としている烏滸大帝を刺激しないようそっと羽織だけ手に取り、裏口から街中へと繰り出した。
 こうなれば手段は選んでいられない。陰陽師たちの拠点となっている白鷺塾をどうすれば最短かつ最小の手数で抑え、彼らの注意をその場所へ惹きつけるかを考えなければ。螢の目をもってしても法輪寺からでは様子を見ることは叶わない白鷺塾側へと向かう。
 すっかり歯型のついた指の関節を何度も何度も噛みながら、寒さと闇が追いかけてくる街へと螢は降りていくのだった。


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