苦労は絶えず繋がりは切れず

 問題行動を起こした上司から離れて第二の人生を歩もう。職も正して好きなことをして、それでいて適度に刺激のある人生を歩もう。そう思っていたのだ、つい一年ほど前までは。
 それはつい今しがたかけられた元上司の一言によって崩壊を迎えることとなる。

「東鬼。鮫島愁太郎が拉致されたそうですね。そしてどうやら強制突入の命も下されたとか」
「はぁ……。なんでそんな情報を知ってらっしゃるんですか……」

 とても面倒くさい予感を抱えつつ、久しく鳴った懐中電話から発せられる電子音まじりの声に渋々答える。
 その声の主は東鬼の元上司であり、彼がこの西京都にくるきっかけにもなった常闇閻羅のものだ。今は一介の駅員であるはずの彼がどこでどうやってその情報を仕入れたのかは謎だが、昔の職業からして事件に関しての話には敏いのだろう。駅でどこぞの都民が話しているのを小耳に挟んだのかもしれない。
 以前聞き込み調査として訪れた時には事件の中心となっているその人物の名を聞いただけで顰めていた顔が、おそらく今絶頂を迎えているのであろうことは声色ですぐに分かった。

「どこで知ろうが僕の勝手です。お前に詮索される謂れはありません。それより、ひとつ頼みごとがあるんですよ」
「はあ、なんでしょう」
「僕もその強制突入とやらに参加させなさい」
「はあ!?」

 いきなりの度を越えた頼みごとという名の、元上司の奇行に声を上げる以外のリアクションができない。いやいやいや、と即座に頭を振りながらそれはできないと答える。

「いくらあんたの頼みでも一般人を連れてはいけませんよ!」
「一般人の格好なら、でしょう?」
「……なにが言いたいんですか」
「わざわざ僕に言わせるんですか、愚鈍が」

 わざわざ言われずとも分かる。理解できる。何十年、何百年と仕事をこなしてきた中だ、それくらいは手に取るようにわかる。しかしそれを事実だと認めたくない気持ちもわかってほしい。
 そんな願いは一切聞き入れてもらえないまま、閻羅は最後にひとつ付け加えた。

「これは元上司としての命令ではありませんよ。お前と僕はすでに上下関係にはありませんから。ただの旧知の友として、願い出ているんです」

 友、の部分をものすごく強調されたそれは、頼みごとというよりも東鬼にとってはもはや強要と同じことであった。


* * *


「旧知の友として、ねえ」

 どう考えても命令口調だったその頼みごとを頭の中で反芻しながら、強制突入となって慌ただしい庁舎できょろきょろと辺りを見回す。別段人を探しているわけではないのだが、まったくもって無関係かと言われればそうでもない。
 さてどうしたものかと思いつつとりあえず一課にある自分のデスクへと足を運ぶと、わあわあと騒ぎながら入ってくる、少し小柄な青年の姿を捉えた。

「ひーっ! 聞き込みから帰ってきたらNECTARに行けって、人使い荒いっスよぉー!」

 しかもこの書類持っていけって! 新人っスけどこの扱いの雑さなんとかならないっスかねー。などと言いつつ手にした書類をばさりとデスクに置くその人物の頭からつま先まで一度じっくり見た後、東鬼はよしと決意して声をかけた。

「袈裟丸、丁度いいところに帰ってきたな。ちょっと頼みごとがあるんだけどいいか?」
「えっ、どうしたんスか東鬼センパイ」

 ひときわ目を引く緑色の頭にすっと手をあててうんうんとひとり頷く。状況がまったくわからない袈裟丸は頭上にハテナを飛ばしながらぽかんと年上の同僚を見上げていた。

「あのな、できればお前の制服を一着貸してほしいんだ」
「えっ」
「いや俺が着るわけじゃないぞ?」

 一瞬不審人物を見るような目を向けた袈裟丸に釘をさしつつ、しかし詳しい事情を話すわけにもいかないのでどうしたものかと考えを巡らせる。

「えー……。男に貸したくないんスけど……」
「ああ、安心しろ。男じゃない」
「俺のロッカーに入ってるんで適当に持って行ってください」

 男じゃないというその一言でころりと態度が一変したその様に不安を覚えつつも、ありがたいと差し出されたロッカーの鍵を受け取る。
 じゃ、行ってきます! と元気に慌ただしく駆けていった後輩の後ろ姿を眺めながら、東鬼は必死に心中で自己肯定を繰り返していた。

(まあ、男じゃないのは本当だしな。女でもないけど)

 閻羅の性別はいわゆる無性であり、生殖機能などは一切存在しない。見た目でいえば女性でも通るだろうし、声も低めの女性だといえばそうだと信じられるほどのアルトだ。
 ちょろい後輩の好意に甘えて、東鬼は彼のロッカーから制服を借りることにした。


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袈裟丸夜道くん
→お借りしました。
不都合ありましたらパラレルとして扱ってください。