ふっと、糸が切れるように。固く結んだ結び目が解けるように。心の底を隙間風が通り抜けていく時がある。
それは日課の鍛錬が終わった時であったり、朝目覚めた時だったり、賑やかな夕食を共にした後だったり。ちょっとした日常の中に潜んでいて、それを自分自身で埋めるにはメルヴィは酷く不器用だった。
理由の一つとして、彼女は自分自身に厳しすぎた。幼いころからの標である現女王陛下の為、自身の趣味趣向の為に時間を費やすのを許さなかった。
魔術が使えなくとも、騎士団には入れずとも、自分に成せることがあるのなら何だってしてみせると誓った。どれだけ泥臭いと蔑まれようと、女らしくないと囁かれようと、彼女が今まで生きてくるためにはそれが何より必要だった。
だからこそ剣技を身に着け、銃器の扱いを覚え、体術を叩き込んだ。努力の上に体格も功を奏し、少し腕に覚えのある程度の者なら誰にも負けはしなかった。元々負けん気が強いのもあったのかもしれないが、戦いに関するあらゆる術を身に着けた時には、かつて魔術がほとんど扱えないばかりに惨めな思いをした少女の姿はなかった。
その時の誓いを、その時の誇らしさを抱き進んできた彼女にとって、今更自分自身のための時間の取り方など忘れてしまった。
だから彼女は一人で、約束もせずに人を待つ。声を掛けることも無く、書置きを残すことも無く。ただじっと、その扉の横で待っている。
魔力で灯る光の海にも負けず、月が煌々と夜空を照らす晩だった。
食事や遊びにでも出かけているのだろうか。普段は少し騒がしいくらいの廊下はシンと静まり返って、常夜灯だけが足元を照らしている。その仄かな光をじっと見つめながらどれくらい経っただろうか。聞こえてきた足音に、ゆるりと顔を上げる。
「どうしたんです、こんな夜更けに」
柔らかな髪の色をした青年だ。約束もなしに待ち続けたその人だ。
張り付いた喉を振るわせて、常よりも微かな声でその名前を呼ぶ。静かな夜には囁くような声でさえよく通った。
「ハロルド……、ハリー」
きっかけはいつだったろう。初めてあった日か、手合わせをした日か、共闘した日か。もうよく覚えていないけれど。戦友というには近すぎて、恋人と呼ぶにはもどかしい距離。それでもきっと二人の関係に名を付けるなら後者なのだろう。何にせよ、メルヴィにとってたった一つの心を預けられる場所がハロルド・ワーナーの隣だった。
二人きりの時にしか呼ばない愛称。それだけで何のために彼女がここに居るのかほとんど分かってしまっているだろう。それでもこちらが言い出すまで待っている。待っていてくれる。それが彼女にとって何より有難いことだった。素直な気持ちを、飾らない自分を、一人の人間を受け入れてくれる。
「……肩を貸してくれないか。少しの間でいい」
グローブを取り払った手で彼の腕を取る。そのまま幼子が甘えるように彼の肩に額を置いてそっと目をつむった。
「肩だけでいいんですか」
「……」
「貴方を抱きしめることくらい、いつだって出来ますよ」
温かな腕に包まれる。心臓の音が重なる。優しい声がする。固まった心を溶かして、隙間風を塞いでくれる。
それ以上彼はなにも言わなかった。メルヴィも何も言わず、ただ降ろしていた腕を青年の背中に回す。
暫くして、どちらともなく腕を解いた。小さな笑い声が二つ静まり返った廊下に反響する。
ただ受け止められるという行為がどれほど嬉しいのか、彼女はハロルドに出会って知った。だからこそ彼に惹かれるのかもしれない。だから彼を選んだのかもしれない。
挨拶を交わしてゆっくりと距離を開けていく。離れていく。自身の一方的な行為にこれ以上付き合わせるわけにはいかなかった。
一歩進むたびに少し冷たい空気が与えられた温もりを解いていく。惜しむ気持ちはあれど彼女はそれでよかった。
夢で終わらぬように。彼が隣にいてくれるように。適切な距離を保てるように。
ただ一つの還る場所を守るために、彼女はただまっすぐな翡翠の目で前を見据えた。
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BC財団 警備員 ハロルド・ワーナーさん
→お借りしました。
不都合ありましたらパラレルとして扱ってください。
(Image by 『BRAVELY DEFAULT FLYING FAIRY』OST より「風が吹いた日」)