それでいいのか、と彼女は言った

「おはようメル。早いのね」
「おはようローザ。君の方がよほど早い」

 ”マクガフィン”M-2988を追って結成されたBC財団天照派遣調査団が、遠い異国である天照神国へ到着して早一週間となる。到着直後こそ若いエージェントが多いこともあって観光気分が抜けきらないところもあったが、その雰囲気も今ではすっかり落ち着いている。というのも、世界で最も時間に正確といわれている天照の交通機関や施設、店舗等々がマクガフィンの影響により遅延を起こしており、どこへ行くにも不便さがかなり付きまとうことが発覚した。時間に正確である、と言えば聞こえはいいが時間に縛られている人々の元にこのマクガフィンの影響が起こるとこうも難儀なことになるのかと、ほとんどのエージェントたちが喜色を疲労へと変えて帰ってきたのだ。
 そして何より。あの日Mr.Dと調査員の一人であるエルザが目にした西京大学内での出来事以降、マクガフィンに関する調査は難航している。国の警察機関である特別高等警察との協力体制も敷かれてはいるが、効果はあまり現れていない。元々は国を守るための機関であるから、こうして財団へと協力できる人数もそういないのかもしれないが。
 なんにせよこのままでは本国へ帰国することはできない。自国の土地とは違うため魔法を使うことは出来ないが、それ以外で行うことはすべて同じ手順だ。世界の危機の守護者の名に恥じぬため、何より専門家としての地位を汚さぬために毎日本格的に各エージェント達が出動している。それでも成果があるかと言われれば、言葉を濁す他ないのだが。
 調査員のローザと警備員のメルヴィも調査の為に連日西京都の町中を歩いては、その土地の時間の狂い方を調べ人に聞き込みをしている。他のエージェント達と情報共有も行っているが、今のところ共通点やパターンなどは見つかっていない。
 時計が役に立たない今、時間の間隔は太陽の位置や影の長さでしか判断が付かない。それでもローザとメルヴィは毎日同じような時間に顔を合わせている。
 太陽が東から出て60度ほど。時間にしておよそ7時頃だろうか。互いに取った宿の丁度真ん中辺りにひっそりと開店している、クラシックな雰囲気の喫茶店が待ち合わせ場所だ。水を持ってきた主人にモーニングとコーヒーを注文して、メルヴィはローザの前の席へ腰かける。彼女はもう朝食を済ませたようで、食後の紅茶をゆったりと味わっていた。

「研究員のメンバーから何か手がかりは上がってきたか?」
「いいえ。みんな必死に頑張ってくれてるけど、今はまだ。……スパイのこともあるから、慎重なのかもしれないわ」
「オブザーバーから直接通達があったんだ。信じたくはないが、そうなんだろうな」
「――早く終わらせましょう、こんなこと」

 こんな、仲間を疑うようなこと。
 早くスパイが見つかればいい。けれど見つからないでほしい。真実を突き止めなければいけないのに、事件を止めなければいけないのに、気持ちが揺らいでしまうのは仲間を大切に思っているが故だろう。
 ローザはきっと目の前で誰かが断罪される姿を見たくはないし、出来ることならしたくはないのだろう。人の上に立つものとして目は逸らさずとも。それがメルヴィの知っているローザ・クリントンという女性だ。
 けれど冷えた腹の底で考える。もし目の前の彼女がスパイだったとしても、自分は容赦なく罪を暴き突き出すだろう、と。

「そうだな」

 運ばれてきた朝食に手を付ける。何が起ころうと今すべきことは変わらない。

◆ ◆ ◆

 時間を狂わせるマクガフィンの影響は、どうやら交通機関の遅延などに留まらず渋滞まで引き起こすらしい。酷い所では事故が何件も起こっていると報道されていた。時間表記が狂うだけならまだしも信号変更のタイミングにまで影響が出ているらしく、そこかしこで交通整備をしている特高の姿が見える。

「どんどん被害が大きくなってるみたいね……。早く何とかしなきゃ」
「ああ。流石に一般人よりも体力があるとはいえ、こうも地道な調査は骨が折れるからな」

 交通機関は一応動いているものの前述の通り事故が多発しているため、現在は巻き込まれを防ぐためにほとんど徒歩で移動し調査を行っている。その為一日に調べられる場所は一ヶ所がせいぜいだ。体力のある調査員や警備員などは少し疲れる程度だが、主に研究員のメンバーから続々と苦情が上がっている状態らしい。先日もMr.Dがマクガフィンの資料を見る合間に予算表と睨み合いながら唸っている姿が見かけられている。
 ローザもメルヴィと同じように毎日歩き通しだが、彼女の場合は体力というよりも気力で歩いていると言った方が正しい。休憩する度に足を擦ったり揉んだりしているのを見るのも心苦しいので、なにか解決策が産まれはしないだろうかというのがメルヴィの正直な感想だ。
 そんな会話をしながら今日の調査地へと向かっていると、前方から聞きなれた声が聞こえてきた。

「いや無理……ほんと無理だって……ボク体力ないって言ってるでショ!?」
「だからさっきご飯それで足りるのかって聞いたじゃん。食べないから力でないんだよ」
「そういう問題じゃない……」

 ポニーテールの女性がずるずると、半ば引きずるようにして青年を引っ張りながら歩いている。鮮やかな緑の頭髪の青年はもう足を動かす事さえ億劫なのか、履いているヒールがガリガリと音を立てるのも構わずぐったりとした足並みだ。

「あら、あれって……」
「あっ! おーい、メルヴィ! そっちも調査ー?」
「ええー……また誰か来たノ?」

 ローザが前方の二人に気付くと同時にこちらの存在も気付かれたらしく、ポニーテールの女性が手を振りながら声を掛けてくる。対して、後ろの青年は非常に面倒くさそうな視線を投げた。

「ああ、今調査に向かっているところだが……ロミー、そちらが今日の君のパートナーか?」
「そ。すぐサボるから引きずって行ってくれって言われたからさ」
「おかげでこっちはいい迷惑だヨ」

 足は疲れるし、引っ張られるから腕は痛いし。あ、それはごめん。でもすぐ逃げようとするあんたも悪いよ。
 まるでコントのようなやり取りを繰り返す二人を前に、メルヴィはローザに話しかける。

「あちらの青年、知っているか?」
「名前までは……。でも、ユールと同じ研究室で見かけたことが何度かあるから、研究員じゃない?」
「なるほど」

 それなら現状に音を上げるのも仕方ない。加えて会話を聞いてる分には、調査自体にそれほど乗り気ではないらしい。しかし手がかりがない以上、人海戦術でどうにかするしかないのも事実だ。
 少し考えこむと、未だテンポのいいやり取りをしている二人の前、研究員であろう青年にメルヴィは右手を差し出す。

「私はメルヴィ。そこのロミーと同じく警備員の者だ。これも何かの縁だろう、よろしく頼む」
「あー……。ボクはウルム。お察しの通り研究員だよ」

 先ほどのローザとの会話を聞いていたのだろう。ウルムと名乗った青年はメルヴィの手を取り、軽い握手を交わす。

「さて、挨拶を済ませたところで提案なのだが。疲れているのなら私が代わりに歩こうと思うが」
「それって楽できるってこと? ヤッタ〜!」
「ちょっとメルヴィ、それは――」
「では、失礼して」
「えっ……うわっ!」

 引き受けた手前それは出来ない、とロミーが声を上げる間もなく、メルヴィはウルムの背中と膝裏に手を回し抱き上げた。
 そう、いわゆる姫抱きである。

「えっこれ……どういう状況?」
「何か問題があるか? 私が運びやすく、君が楽な姿勢だと思ったのだが」
「ああーナルホド? 確かに見晴らしもいいしネ」

 何故か納得した二人。唖然と見る二人。そしてロミーが唐突に声を上げる。

「……うわーっ、その手があったか! それならトレーニングにもなるしね!」

 なるほど! と言っているが、一人取り残されたローザには何が「なるほど」なのか全くわからない。
 普段は常識人な相棒なだけに、たまに起こるこういった状況にどっと疲れが出てしまう。おまけに今回は誰もツッコミがいないという惨事だ。
 疲労の上に頭痛まで加わったような気がする。

「あなた達、それでいいの……?」

 今日は帰ったらいつもより早く休もうと決心した。


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BC財団 調査員 ローザ・クリントンさん、警備員 ロミー=ブレイスマンさん、研究員 ウルム=フォーダムさん
→お借りしました。
不都合ありましたらパラレルとして扱ってください。