摩耗

 みっともない、と言われ続けた。自身でもそのように思っていた。
 みっともない。ヴェンネルバリの家の名を持つものとして、偉大なる曾祖母アリシアの名を受け継いでおいて。亜人としての能力を何一つ持たない人間だなんて。
 人間の上位存在である亜人の一族として名を馳せた家にとって、メルヴィの人間という立ち位置は非常に恥ずべきものだった。身体ばかりが丈夫でも能力がなければただ亜人に使われるだけの下位存在。三代かけて築き上げた有力な亜人一族の家にとって、彼女の出生は大きな落胆をもたらした。
 だから両親はコネを使って、国で一番成功率の高いと言われている亜人手術を受けるようにした。人工であっても能力がないよりはいい。後遺症が残ったって構わない。優秀な娘として表に出せることが出来れば――。それは幼いメルヴィにとっても切実な思いだった。自分の家がどういった系譜を刻んできたのかを、生まれた時からずっと聞かされて育ってきた。だからこそ彼女は亜人に成らねばならなかった。こんなみじめで、みっともないただの人間としてなど生きられない!
 高い金を積んだ手術は失敗した。両親は嘆き、激怒し、メルヴィは己を酷く恥じた。ただ失敗するだけならまだしも、遺伝子の変容によって姿形がトメニアが最も忌み嫌う怪物たちのようになってしまった。蛮族たるエルフ達のような耳へ変貌し、右目は白く濁った上に失明した。
 使い物にならない。ただの人間よりも価値が劣る。恥ずかしいみっともない、情けない!!
 それでも彼女は生きることに執着した。たとえ亜人に使われるだけの人生だとしても、たとえ家から勘当されたとしても捨てられたとしても、それでも生きていきたかった。ただ死ぬくらいなら国の礎になって死にたかった。それが自国の民としてのあるべき姿だと教えられてきたから。
 家にひた隠しにされながらも、メルヴィは軍人となることを諦めきれなかった。両親は彼女に金を掛けることを嫌がったが、それで大人しくなるのなら、現実を見て諦めるのならと知人を招いては稽古を付けさせた。
 それは到底、稽古と呼べるような代物ではなかった。罵倒と嘲笑、度を過ぎた暴力。それを「教育」と言ってのける者たち。
 しかし彼女はそれでも諦めなかった。彼らに技術で少しでも上回ることが出来れば、敵を屠れるようになれば、異能がなくとも国の為に尽くして死ねる。家の名誉をこれ以上傷つけずに済むと本気で思っていた。だからどれだけ傷を負おうと、どれだけ吐こうと立ち上がって見せた。
 そうして転がり込んできた幸運はブリタニアへのスパイ、それも世界を揺るがすほどの存在を確保している組織への潜入だった。

「君のその容姿なら易々と入り込めるだろう。あちらは人間であっても能力さえあれば怪しまれることはまずないようだ」
「おめでとう、君の待ち望んだ国家への献身ができるよ」

 亜人の男はそう言って薄ら寒い笑みを浮かべる。両親はそのことにほっと胸をなでおろし、生まれて初めて娘を讃えた。
 喜ぶそぶりを見せながら、メルヴィは気付いていた。
 それがスパイとは名ばかりの、体のいい追放だと。

◆ ◆ ◆

 思い出せ、思い起こせ。自分が何のためにこの国に来たのかを。何のためにこの組織に所属しているのかを。
 忘れるな。任務を遂行しろ。それが幼いころから自身が望んできた事であり、今に至るまでの経緯なのだから。あの頃の意思を正しいと信じるならば、裏切るな、祖国を。
 オブザーバーからの通達。疑心暗鬼の中での調査。本国から渡された指令。その先に起こりうる未来。
 初めは嫌っていたはずなのに、自分の居場所を得てからというもののこの場所に感化されてしまったのかもしれない。本来は空席のその場所に座り安堵しているが、いつ崩れる日が来るのかと思うと恐ろしくてたまらない。
 どうして屠るべき相手を大切に思ってしまうのだろう。どうして抹殺するべき文化を受け入れてしまうのだろう。どうして、何故、いつから。
 人間として幸福を掴もうとするたびに、トメニア国民として劣化の一途を辿っている。こんなことをいつまで続ければいいのだろう。離反する現状と心境と信条に狂ってしまいそうになる夜が何度かあった。
 その度に彼女は己を律した。何度も頭の中で思い描いた。そしてこのチャンスを逃すわけにはいかなかった。
 ローザを欺けるか――欺くとも。やり切って見せる。彼女は仲間内をむやみやたらと疑うような人物ではない。容易なことだ。
 アコモをやり過ごせるか――やり過ごすとも。彼女は身内には甘い。だから入り込んだのだ。いざとなれば拘束することだってできる。
 ニールを出し抜けるか――出し抜くとも。幸い天照ココでなら連中は魔法は使えない。純粋さを残した少年ならいくらでも出し抜ける。
 ハロルドを殺せるか――。

「――やってやるさ」

 低く、呻き声を上げる。何かがひしゃげる音がした。それを見ぬふり、聞かぬふりをする。
 そうだ、これでいい。これが正しい。これが在るべき姿だ。
 起き抜けで乱れたブルネットの髪を乱雑に束ねる。シャツに腕を通して身支度をする。
 擦り切れた兵士は、こうして仮面を被って今日を過ごしていく。


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BC財団 調査員 ローザ・クリントンさん、調査員 ニール・ハミルトンくん、調査員 アコモ・デートラックさん、警備員 ハロルド・ワーナーさん
→名前だけですがお借りしました。
不都合ありましたらパラレルとして扱ってください。