ひとつ丁寧におじぎをして、二人は建物の中へと入っていく。足を踏み入れて、マリアは感嘆の声を上げた。
 アンティークの家具や食器の傍に飾られたたくさんの装飾品。アンティークはあくまでもそれらを引き立たせる役割となっていて、どれもとても上品にディスプレイされていた。ただ壁に掛けたりテーブルに置いているだけではない、マリアのよく知る都会の宝飾店とは全く違う趣にきらきらとその目が輝く。商品としてではなく主役として佇むそれらはまるでたくさんの人のようで、とても愛おしいものに思えるのだ。
 さあいらして、と少女に声をかけられ慌てて後に続く。店のカウンターのさらに奥、扉の向こうにある螺旋階段を登っていく。質素な造りではあるが細部に彫られた装飾を見るに、これもかなり上等なものなのであろうことが分かる。店内の雰囲気といい落ち着ける空間は、マリアに無駄な緊張を持たせずに済んだようだ。
 階段を上り終え見えた扉を開かれて、当然のようにその部屋の中へと足を踏み入れる。どうやらここは完全なプライベートルームであるらしく、テーブルやベッド、コンロに食器棚、ほんの少しの本棚や植物が飾ってあった。

「どうぞ座って。今紅茶を淹れるわ」
「あ、はい」

 すっと引かれた椅子に言われるがまま着席する。ここに至るまでの間に見た洗練された少女の歩き方や佇まいからするに、きっとマリアよりもずっとお嬢様である彼女に何もかもをさせるのを申し訳なく思う。けれど同時に歓迎されてもいるのだろうと思うと無闇に何かしようとしない方が良いだろうことも分かっていた。
 少しして小さなテーブルにふたり分の紅茶が静かに置かれる。ほんの少し甘くそれでいてふわりと包み込むようなやわらかな香りに少し気を落ち着かせる。少女は向かいの椅子に座るとおもむろに口を開いた。

「誘っておいて名前も言っていなかったわね。私はレティ。貴女は?」
「わたしはマリア。森の向こうの、小さな村に住んでるの」
「そう、マリアというの。聖母と同じ名前なのね」

 ふわりと笑いかけ、紅茶を一口含む。レティと名乗った少女はそれで、と本題を持ちかけてきた。

「マリアはここへ、猫を探しに来たのね?」
「ええ。灰色の毛並みで、トニーというの」
「どこで見失ってしまったの?」
「大きな噴水のある場所よ。こんな場所に街があるなんて知らなかったものだから、吃驚していたら見失ってしまって」

 出されてからいまだ手をつけていない紅茶から立ち上る湯気を見ながら、マリアはぽつりとそう零す。レティも、そう、と言葉を落とすとほんの少しの間押し黙ってしまった。
 けれどまたすぐに顔を上げて、先ほどよりも真剣な眼差しで口を開く。

「話は変わるのだけれど、ひとついいかしら」
「なあに?」
「貴女は、マリアは、トニーのこと以外に何か思い悩んではいないかしら?」
「トニーのこと以外で?」

 唐突に聞かれたその質問の意図はわからなかったが、マリアは素直に考えを巡らせる。けれど悩み事は今のところ見当たりはしなかった。

「悩み事はないわね」
「そう。思いつめていたりもしないのね?」
「そうね、特に深刻なことはないわ」

 意図は分からずとも、尋ねられたことに関しては素直に答える。それがマリアの美徳でもあり、幼さの証拠でもあった。
 レティはその答えを受け取ると心からほっとしたような笑顔を向ける。

「それじゃあ、早くトニーを見つけて帰らなければね」
「そうなの。わたし、トニーと一緒に結婚式にお呼ばれしているんだもの」

 この街へくるまでにずいぶんと時間が経ってしまった。素敵なお店と売り子だろうレティに出会えたのは良い収穫であったが、これ以上長居をしてしまえば結婚式に間に合わない。早くトニーを探さなければ。
 そんな心中を見透かしたように、くすりとまたひとつ笑みを零してレティは囁く。

「大丈夫よ。絶対に間に合うから」
「え?」

 言葉の意味をいまいち理解できずに首をかしげると、彼女はふるふると首を振った。なんでもない、と言いたいらしい。
 レティが再び紅茶を口にするのを見て、マリアも慌てて口をつける。あたたかい紅茶は焦りを解きほぐしてくれるかのようだ。
 まだ半分も飲んではいないが、微かな音を立ててカップを置くと優雅な仕草でレティが立ち上がる。

「それじゃあ行きましょう。この街にほとんど人はいないけれど、声をかけられる人だけでも探してもらえるように」
「いいの? そんなにしてもらっちゃって」
「大丈夫よ。みんなそんなに意地悪じゃないから」

 ふ、っとこの街に来てようやっと笑みを零したマリアに、レティはもういちどそっと手を差し出した。