茜さす不安の種、暖かな心に触れる。




 翌日。もはや日課となりつつあるトニーの探索を朝からするものの、一行に灰色の愛猫が見つかる気配はない。見つからない時間が経過するとともに、マリアの胸の内に生まれた不安の種がすくすくと育っていく。日が暮れ、いよいよ明日しか探す時間がないとなると、その種は芽を出し蔦を伸ばし、今にもおそろしい花が咲かんとするように頭をもたげた。

「今日も見つからなかったわね。トニーはよっぽど隠れるのが上手なのかしら。……マリア? どうしたの?」

 少しでも気落ちしないよう声を掛けてくれるレティの声すら届かないほど、マリアはぼうっとしていた。手を握られ、ようやっと意識を隣の少女に向ける。

「あ、うん。そうね……」
「……不安なのね。トニーを見つけられずに、家に無事に帰れるかも分からない状況ですもの。当然だわ」
「ううん……。そうじゃない。そうじゃないの、レティ」

 マリアの暗い表情につられてか、レティが悲痛な顔を見せる。それに慌ててマリアは撤回するかのように言葉を発した。

「トニーに会えないのは、とっても不安だし悲しいわ。でも、帰れるかどうかを疑ってるわけじゃないの。こんなに良くしてくれるんだもの、レティのことを疑ったりなんてしない。ただ……」
「ただ……?」

 言いよどんだマリアに言葉の先を促す。なんでも快活におしゃべりをするマリアが何度も口を開いては閉じる様に、レティはもう一度優しく声を掛けた。

「言って頂戴、マリア。この街に貴女の不安も、悲しみも寂しさも置いていって。この街も私も、その為に居るのだから」
「レティ……。うん、きちんと話すわ。だからそんな風に言わないで」

 この街は住んでいるレティたちの為にあるのだし、レティも彼女自身の為に生きているのだから。そう伝えるも、マリアの言葉に彼女はただ微笑むだけだった。
 夕暮れの中、二人の少女は揃ってマリアの仮宿へと入っていく。備え付けのティーセットに温かいミルクティーを淹れ席に座る。二人でいるには少し広く感じるのは、互いに言葉を交わすことなく、茜色が窓からのぞいているからだろうか。ゆっくりとティーカップから立ち上る湯気と柔らかな香りを感じながら、マリアはぽつりぽつりと話し出す。

「……昨日、ある鳥巣さんと会って、あの人は帰れないんだって思ったら、わたしはこのまま……本当に帰ってもいいのかなって、思ったの」

 レティは何も言わず話を聞いている。マリアはそのまま全ての思いを吐き出すように話し続ける。

「たとえトニーに会えなくたって、わたしはこの街から帰れる。でも、そうしたらもう、トニーだけじゃなくてレティにも、クォルツさんにも、ビルくんにもアルノスさんにも……オルフォースさんとだって、会うことはなくなってしまう。みんなわたしの為にトニーを探してくれてるのに、わたしは何もできないままで……」

 気が付けば、マリアの瞳から涙が伝っていた。カップを持つ手にしずくが落ちる。手の甲で雑にぬぐいしゃくりあげながらも、なおも言葉をつづける。

「わたしがここにいても、何もできないのは分かってるの。それでも、こんなに優しい人たちを置いて、わたし一人だけ元の生活に戻ることが悲しくて、悔しくて、申し訳ない気持ちでいっぱいなの」

 昨日からずっと、その不安の種を抱え込んでいたのだろう。ぽろぽろと頬を伝う涙は止まることがない。なおも手の甲で涙をぬぐうマリアを見かねて、レティは小さなハンカチを差し出した。

「これを使って。そんなに乱暴にしたら、目元がはれてしまうわ。……ああほら、そんなに赤くして」

 席を立ち、マリアに手を伸ばす。彼女が落ち着きを見せるまでハンカチで涙をぬぐってやると、再び座りなおして優しく言葉を掛けた。

「マリアが申し訳なく思う必要なんて、どこにもないのよ。それにこれは、私たちが好きでやっていることなんですもの」
「でも……。レティには一番迷惑をかけてるわ。お家を貸してくれたり、ご飯を作ってくれたり、今だってお茶を淹れてくれたし……」
「ご飯を作るのも、お茶を淹れるのも、私が好きでやってるのよ。だって、久しぶりにこうやってお話ができるんだもの」

 そう言って微笑むレティを見る。話をするだけならこの街の人とでもできるのではないか。そんな疑問を表情に出しているマリアに、だって、とレティは続けた。

「私と同じくらいの女の子って、貴女だけよ?」
「……本当だ」

 呆気にとられたマリアの様子がおかしかったのか、それともこうして何気ない会話をしていることが嬉しいのか。きっとその両方なのだろう。

「それにね。この街は季節も変わらなければ、天気が崩れることもないの。時折人が訪れることも無かったなら、まるでずっと同じ日を繰り返しているみたいで……。話し相手が居たとしても、話題がなければ退屈なだけだわ。……だから、ねえマリア。私たちに貴女をもてなさせて。それが一番嬉しいの」
「わたし、本当に迷惑じゃないかしら?」

 少しは表情が和らいだものの、なおも不安そうな顔をしたマリアに、レティはこくりと頷く。その答えにほっとしたのか、話し始めた頃よりは幾分明るい表情へと変わった。
 話もひと段落着いたところで、ふいに玄関の扉がコン、コンとノックされる。

「二人とも居るかい? 少し話しておきたいことがあるのだけど」

 扉の向こうから聞こえるのは、マリアがこの街に来てであった二人目の人物――クォルツのものだった。二人は家の中へ招き入れ席を勧めたが、彼はそう長い話でもないからと立ったまま要件を話し始める。

「マリア。明日はようやく君のいた場所へ帰れる日だけれど……。トニーは見つかったかい?」
「いいえ。でも、いいんです。お母さんとお父さんとも、たとえ見つからなくたって帰るって、約束しましたから」
「そうか。一応、僕も最後まで探してみるよ。猫は夜行性だと聞くしね」
「ありがとうございます。無理はされないでくださいね」
「こちらこそ、気遣いありがとう。それで、明日帰れると言っても、どの場所からどうやって帰るのか分からないんじゃないかと思ってね。よければ迎えに来るけれど」
「いいんですか?」

 もちろん、とクォルツが頷く。レティの方を見ると、彼女も頷いてその提案を受け入れたほうがいいだろうと言う。

「何から何まで、本当にありがとうございます」

 この街のこと、帰り道のこと、トニーのこと。目の前の二人に対しては感謝してもしつくせないほどだ。マリアは深々とお辞儀をして、レティに言われたように、最後まで最大限にもてなされようと、晴れやかな顔を上げた。

「それじゃあ、よろしくお願いします!」

 三人は和やかに笑い合った。