翌日。昇った太陽が街の中心に位置する昼時に、マリアの元にレティとクォルツが訪れた。もうあと一時間としないうちに、別れの時間が来るらしい。二人の話によるとビルも見送りに来てくれるのだそうだ。

「アルノスさんとオルフォースさんは?」
「アルノスは自分が行っても大した言葉も掛けられないから、って」
「オルフォースは折角帰れるのに気を悪くさせる必要もないだろう、だってさ。僕も彼と会わずに済むなら、それがいいと思うよ」
「そうですか……。少しでもお世話になったから、お礼が言いたかったのに」
「その気持ちだけできっと充分よ。それと、これ。ビルから預かったの」

 一日にも満たないで愛であり交流であった二人と別れの挨拶をかわせないことを悲しんでいると、レティから一つの紙袋が渡された。ビルからの預かり物だというその紙袋を開いてみると、柔らかな緋色の編み上げブーツが入っている。

「これ、ひょっとしてビルくんが作ったの?」

 すごい、と思わず感嘆の声が出る。この街に来た日にマリアの靴を作ると言ってくれていたが、こんなにも早く出来上がるとは思いもしなかった。手に取ってみれば飾り気はないものの、革の切断部分が波状に切られており、よく見なければ分からないほどにレースのような穴が空けられていた。三つ編みの編み上げ紐はこげ茶色で、靴全体のカラーを落ち着かせている。
 マリアはすっかりその靴を気に入って、大切に紙袋の中へしまい込もうとした。

「待って。よければその靴、履いて帰ってあげて」

 それを止めたのはレティだった。その靴を履いた方が帰り道は歩きやすいと思うから、と。ビルがそういった思いも込めて作ってくれたのだとまで言われると、マリアはその提案にこくりと頷いた。

「後でもう一度、きちいんとお礼を言わなくちゃ」

 今まで履いていた靴を脱いで、渡された緋色のブーツに足を通す。マリアの為に設えられたそれはすとんとなんの突っかかりもなく履くことが出来た。緩めていた革紐を結んで立ち上がると、先ほどよりもうんと足になじむ感覚がある。

「すごい……。革なのに軽くて、とっても動きやすい。こんな靴もあるのね。本当に素敵なプレゼントをもらっちゃった」

 くるりとその場でステップを踏む。もともと着ていた赤いワンピースに白いカーディガン、アルノスから受け取ったパールブルーのコート、足元にはビルが仕立てた柔らかな緋色のブーツ。
 たった一週間滞在しただけの、それもさほど交流があったわけでもない少女に渡すには十分すぎるほどの品物だった。少しの間じっと自身の身に着けている物を見つめた後、マリアは顔を上げて目の前の二人を促す。

「ありがとう。最後に、帰り道を案内してくれますか?」

 二人はゆっくりと頷き、クォルツは扉を開けレティが手を差し伸べる。マリアは短い間の友人の手を取って、仮の宿から外へと踏み出した。



 歩きなれた道を進む。チョコレート色のレンガの上を、初めて歩いた日のことを思い出す。今マリアたちが進んでいる方向は、あの日と全くの逆だった。向かう先はどうやら噴水のある広場らしい。
 白亜の街から遠ざかり、やがてうっそうとした森のそばにある広場へと到着する。さあさあと水の流れる音が響き、真上に昇っている陽の光を反射させ煌いている。穏やかな光景、しかし広場に設置されたベンチには誰一人として腰かけておらず、初めて来たときと同じような寂しさを醸し出していた。

「ここが帰り道なの?」
「ああ、そうさ。今は木々が生えてどこにも道がないように見えるけれど……もうそろそろかな」

 クォルツが手元の懐中時計を見ながらそう呟くと、普段よりも一層強い風が吹き抜ける。風が木々を揺らし街に咲く花の香りがより強くなると、またたく間に今までなかった道が森の向こう、木々の間に現れた。

「……あれが」
「残念ながら僕達には見えないんだけれどね。マリアには道が見えているんじゃないのかな」

 クォルツの言葉に、道を見据えたままこくりと頷く。確かに今真里亞の目の前には、獣道ほどの狭さではあるが道が見えていた。

「あの道、本当にレティたちには見えないの?」
「ええ。道は通れる者にしか開かれない。……だから私達も一緒に連れていこうだなんて思わないでね」

 釘を刺される。それはマリアの望むことの一つでもあったのだ。
 レティたちが自分たちの生まれた世界では生きられずにこの街に来たのなら、マリアの世界に行けば普通に暮らしていけるのではないかと。ずっと一緒に、友達でいられるのではないかと。

「貴女に連れられて道を進んだとしても、私達はまたこの街に戻ってきてしまう。そういう仕組みなの」
「そう……」

 悲しさよりも寂しさが胸に詰まると、遠くから軽やかな足音が一人分聞こえてきた。その音のする方向に意識を傾けると、広場の手前の曲がり角からビルが姿を現した。

「よかった。間に合ったみたいね」

 普段駆けまわることも無いのだろう。荒い息を整えながら、ゆっくりと三人の元へやってくる。その腹部は初めて会った時に比べ妙にふっくらとしており、時折もぞもぞと動いている。

「よかった、間に合った……。あなたに、どうしても会わせたくて」
「わたしに?」

 息を整えながらマリアのそばにやってくると、ビルは服の下に匿っているのであろうそれに優しく声を掛けた。

「ほら、出ておいで」

 裾を緩めたところから、もぞりと何かが動いて地面へと落ちる。軽やかな音を立てて着地したその姿を見て、他の三人は目を丸くした。

「トニー!」

 すらりとした体躯に灰色の毛並み、丸いアイスブルーの瞳を持ったその姿は、この一週間マリアが探し求めた愛猫そのものだった。
 マリアは驚きつつトニーへと駆け寄る。手を伸ばすと甘えた声を出しながら頭を擦りつけてくる。懐かしい温かさに思わず顔をほころばせて、すぐにビルへと視線を戻した。

「あんなに探しても見つからなかったのに、どうして?」
「家の片付けをしてからここに来ようと思ったんだ。そうしたら鳴き声が聞こえてきて……。名前を呼んだら来たから、連れてきた」

 少し恥ずかしそうにマリアの疑問に答えるビル。礼を述べると、彼女はもう一度愛猫に声を掛けた。

「本当に良かった。トニー、一緒に家に帰ろう?」

 トニーを抱き上げようとすると、猫はその腕からするりと抜け出しレティのそばへと歩いていく。にゃあ、と一声泣いてその場に腰を落ち着けたトニーを見て呆然としているマリアに声を掛けたのは、レティだった。