時間は進み続ける。




「――そうしてしばらく歩き続けて、森の中でもういなくなってしまったおじいさんと会ったの。人に会えてほっとして、初めてあった人の前で泣いてしまって……。あの人、とっても慌てていたのを覚えているわ」

 くすりと笑って、彼女は孫の栗色の髪を撫でる。

「それで、その後は? おばあちゃんはどうしたの?」

 ジョンは祖母に続きを促す。マリアは孫の期待に応えられないことを申し訳なさそうに、話をつづけた。

「その後は無事に村に帰ったわ。クォルツさんの言った通りそんなに時間は経っていなかったみたいで、両親はわたしを責めなかったし、トニーのことも理解してくれた」
「その街のことは、誰かに話したの?」
「ええ、おじいさんにだけこっそりね。あの人は最後まで、わたしの話は白昼夢か何かじゃないかと思っていたようだけれど……。でもね、ジョン。今の話が本当のことだって証明できるものを持ってるの」
「ひょっとして……」
「そうよ。このガーネットの指輪。レティからもらった、大切な宝物」

 言いながらマリアは、首にかけていたネックレスを外してジョンの目の前に差し出す。チェーンにはマリアが言っていた通り、シンプルな細工の施された指輪が通されていた。

「あの日からずうっと身に着けているの。指にはめるのはなんだかもったいなくて、ネックレスにしてしまっているけれどね」
「……キレイだね……」

 暖炉の炎に照らされて光るガーネットは、ジョンが今まで見たことのあるどんな宝石や鉱石よりも輝いて見えた。そしてこんなにも綺麗なものを祖母に渡すということは、それだけレティという女性は祖母のことを気に入っていたのだろうことが分かる。
 指輪のネックレスをじっと見つめているジョンに、マリアはおもむろに声を掛けた。

「ジョン。よかったらあなたにあげましょうか?」
「えっ!?」

 祖母の言葉に思わず声と顔を上げる。それは期待した物事への嬉しさなどではなく、単純に予想もしていなかった話を振られたからである。
 マリアの言葉の意味を理解すると、ジョンは横に頭を振った。

「いいよ。だってそれ、おばあちゃんの大切なものでしょ?」
「そうよ。とっても大切なもの。でもね、おばあちゃんにとってはお守りでもあったの。だからお守りをあなたに渡すだけよ。それに……」
「それに?」
「わたしじゃもう森へは入れないけれど、あなたなら大丈夫でしょ? もし次にレティたちに会えるとしたら、あなたのような、そんな気がするの」

 だから受け取っておいて、とマリアはジョンの手に指輪のネックレスを握らせる。

「あの時、最後のお礼が言いたかったけど言えなくて。もしあなたが彼女に会うことがあったなら、どうか伝えてほしいの」

 祖母のその言葉を受けて、ジョンは手の中にある指輪をもう一度だけ見ると、しっかりと握りなおした。

「ありがとう、おばあちゃん」
「こちらこそありがとう。……さあ、お父さんとお母さんの所へ行って手伝ってきてあげて。何かあなたの気に入るものがあれば持って行っても構わないわ」
「本当?」
「ええ」

 マリアの言葉を聞いたジョンは、目を輝かせて両親の手伝いに走り出した。祖父の遺品の中にはジョンがもっと小さいころからあこがれていた戦闘機のモデルがあった。両親が整理してしまう前に手に入れておきたいのだろう。
 駆けていく孫の姿を見守りながら、マリアはゆったりと揺り椅子を漕いでいた。パキ、と薪の爆ぜる音が部屋に響くとゆっくりと瞼を閉じる。彼女の胸には指輪の無くなった寂しさと、それが手元を離れて初めて、感じる懐かしさに包まれていた。



 最初はただ深く眠っているのだろうと思ったのだ。だから少しだけ廊下に出て冷えた手を暖炉で温めた後、祖母を起こさないようにジョンは再び廊下へ出た。

「お父さん、おばあちゃん寝ちゃったみたい」

 廊下で会った父にそう告げて、再び部屋へ戻る。父が祖母に声を掛けるが、一向に起きる気配がない。険しい顔で父の言った言葉は小さくてジョンには聞き取れなかったが、それでも不穏な空気が感じられた。
 父は母にどこかへ連絡するように頼み、祖母を寝室へと連れていく。不安な気持ちのまま、ジョンはその後を付いていくほかなかった。

「……大分衰弱しておられますな。今晩乗り切れるかどうか、といった所でしょうか」

 一時間ほどして隣町の医者が到着する頃には、ジョンには祖母に一体何が起こっているのか理解し始めていた。上着のポケットに入れた祖母の指輪のネックレスを無意識のうちに触る。ぞわぞわと背中を這う不安と心細さをそうして静めようとしていた。
 父親は頭を抱え早くも悲しみに暮れており、母親はそれに付き添っている。ジョンはその場にいることが耐えられずに、外に行ってくるねと小さく言い残して寝室を後にした。
 家の外に出たジョンは、すぐ裏にある鬱蒼とした森を見た。空は曇っていて陽の光が差していないからか、普段よりも一層不気味に見える。祖母がよく話してくれたおとぎ話に出てくる魔女が住んでいるのではないかと思うほど。
 ポケットから指輪のネックレスを取り出す。それをぎゅっと握りしめて不気味な森の中へと一歩足を踏み入れた。