切り離された森と街。




 カラカランと涼やかな音をたてて店の外へ出ると、こっちよ、とゆるやかな坂道を登っていく。どこへ向かうのかと聞いたところ、この街のどこからでも見える位置にあるあの大きな時計台へ行くのだそうだ。
 赤いレンガを踏みしめコツコツと足音を鳴らしながら二人は歩いていく。その間やはり立ち並ぶ白亜の建物からは、人の気配もしなければ物音ひとつ聞こえなかった。

「この街は本当に静かね……。こんなに大きな街なら、もっと賑わっているかと思ったのに」

 二人の足音しか聞こえない、いっそ不気味なまでの静けさに思わず辺りを見回すマリアに微かに笑いながらレティは答える。

「この街に入ってこられる人が限られているから、仕方のないことなのよ」
「限られる、って……。森の中にあるから?」
「そうね。そうかもしれないわ」

 なんだかいまいち要領を得ない答えではあったものの、何度聞いたところで今は同じようにはぐらかされるのだろう。その答えに一言で返すと、それからは二人とも黙ったまま歩き続けた。
 感覚にして、十分ほど歩き続けただろうか。くるりくるりと時折角を曲がり行き着いた先は宣言通り大きな時計台の前だった。大きすぎて下から見上げると視界に収まりきらないくらいだ。
 一般的な時計台と違いドアベルがついた木製の扉にあるノブを引くと簡単にドアは開いた。キィと小さく金属が擦れあい、しゃらりと涼やかな音を立てて開かれた扉の向こうへ足を踏み入れる。

「すごい……」

 マリアはまたしても感嘆の声を上げる。この街は静かだが、ひどく美しいものも多い。そして、彼女が今まで見たことのないような表情を多数持ち合わせている。
 開かれた扉の先に広がっていたのは、一面が時計の部屋だった。恐らく元はそれなりの広さであろう部屋中に壁掛け、スタンド、懐中、腕時計などの雑多な種類の時計が敷き詰められていた。中には時計の上に時計が乗りそのさらに上に時計が並べて置かれているものもある。
 それはまるで時計屋というより、時計たちの物置というのが相応しいような佇まいだ。

「ああ、レティ。来たのか。そちらは新しく来たお嬢さん、かな?」

 ドアベルの音で来訪者に気付いたのか、時計だらけの部屋の奥から一人の青年が現れた。大都市の中を颯爽と歩く貴族のような服を着ており、長いグレーの髪をこれまた長いリボンで一纏めにして後ろに垂らしている。レティやマリアより幾分か年上であろう。しかし青年もまたレティと同じようにどこからか気品が漂っており、ただの一般人とは思えなかった。

「やって来たというよりは、迷い込んでしまったようなの。彼女はマリア。――紹介するわね。こちらはクォルツ。私の古くからの知り合いよ」
「ここで時計を管理しているんだ。よろしく」
「は、はい! こちらこそ、よろしくお願いします」

 ふわりと微笑まれつられてマリアも笑う。軽くスカートの裾をつまみ上げてお辞儀をすると同時に同じ言葉をクォルツに返した。
 一応の自己紹介が終わると「ところで」とクォルツが話を切り出した。

「時計を探しに来たのかい? 多分“きみの世界の”時計と思われるものが手元にあるんだけれど」
「えっと……?」
「いいえ、貴方に頼みごとをしに来たのよ。――それとマリア。貴女に聞いて欲しいこともあるの。立ち話も疲れてしまうから奥へ案内してくれるかしら」
「まだ、話していなかったんだね」
「貴方に用もあったし、丁度いいかと思って」
「そう。こちらにどうぞ。怪我をしないように気をつけておいで」

 すっかり置いてけぼりを食らっていたマリアだったが、案内されるままに時計の海へと潜っていく。積まれた時計の高さはマリアやレティの肩の高さまであるものもあり、少し触れるだけで壊してしまいそうだ。
 狭い道と呼べるかも怪しい海の中をくぐり抜けると、ぽっかりと空いた空間に丸いテーブルが現れる。白いレースのテーブルクロスがかけられたそこには四脚の椅子があり、すぐそばにある四角の窓から入る陽光で仄かに明るさを保っていた。中へ進むとレティの部屋に招かれたのと同様に、彼女が椅子を引いて待ってくれた。
 礼を述べて腰掛けると、マリアの右隣にレティが腰掛ける。少し時間を置いて紅茶の香りとともにクォルツが現れた。二人に紅茶を差し出すとマリアの目の前の席に腰掛ける。

「さて、先ずここに来た理由を教えてもらえるかな?」

 テーブルの上で軽く手を組みながらクォルツが話を切り出す。そうね、と言葉を返すとレティが大まかな事情を話し始めた。

「彼女は猫を追いかけてきたんですって。灰色の、トニー、で合ってたかしら?」

 その言葉に小さく頷く。

「噴水の辺りで見失ってしまったのですって。どうにかして見つけてあげたいのだけれど、協力してくれる?」
「それは勿論。僕もそう街を出歩くわけではないけれど、全くというわけではないからね。できる限り協力させてもらうよ」
「ありがとうございます! お昼には村に戻らなくてはいけなくて……。もし、見つけられたらでいいんです、本当に。お願いします」

 丁寧に頭を下げて頼みごとを終えると、「それじゃあ私たちの話も聞いてもらえるかしら」とレティが切り出した。
 恐らく入口で二人が話していたことなのだろうと検討をつけると、こくりと頷いて先を促す。

「これから言うことは虚言でも妄言でもなく、事実よ。驚くかもしれないし私たちを気味悪く思うかもしれない。けれど、貴女には真剣に聞いて欲しいの」
「……分かったわ。何かは分からないけれど、聞かせて」

 何か思い悩んではいないかしら? ――そう聞かれた時と同じような真剣な眼差しで言われた言葉に、聞いてみる以外の選択肢はなかった。見も知らぬ少女の探し物をひとつふたつの返事で協力すると言ってくれた二人にできることが今その話を聞くことなら、そうするしかないと思ったのだ。何を言われるのか、何を言うつもりなのか全く検討のつかないその前置きにどきどきと胸を逸らせる。
 ありがとうと言葉を零すと、体ごとすっとマリアへと向いてレティは“事実”を述べた。

「ここはね。この街は、貴女のいた村とは違う場所なの。別の世界、と言ったほうが分かりやすいかしら。時間も、法則も、何もかもが違う世界なのよ」