マリアは目をまんまるに見開いた。レティの口から放たれた言葉はあまりにも現実とかけ離れていてにわかには信じ難い。しかし“事実”を聞くと言った手前、否定の言葉を吐くわけにも行かず、ただただ口をつぐんでその先を聞くしかない。

「驚くのも無理ないわね。突然こんなことを言われて、素直に受け入れられる方が稀だもの」

 マリアの様子にくすりと笑うと、レティはそれでも、と言葉を続ける。

「本当よ。ここはあなたのいた所と繋がっていたかもしれないけれど、全然別の場所。きっと今森の向こうへ行ったとしても、元の場所へは戻れないわ」
「……そんな……」

 その言葉にマリアの気持ちは落ち込むばかり。ひとつ嫌な予感がして、レティに問いかけた。

「このまま、わたし帰れないの……?」

 その問いにレティはすぐさま首を横に振った。それを見て少しほっとしたものの、いつになったら帰れるのか分からない以上不安は付きまとう。
 困ったように俯いたマリアに声をかけたのは、黙ったままふたりの様子を伺っていたクォルツだった。

「必ず帰れるよ。おそらく、この街で一週間ほど過ごした頃には」
「一週間!?」

 クォルツのその言葉に俯いていた顔をがばりと跳ね上げると同時に、マリアは声を上げた。一週間も家に帰らないとなれば両親が心配するに決まっている。これはマリアのわがままから始まったことでもあるのだから、両親を悲しませるようなことだけは、マリアはどうしても避けたいのだ。

「わ、わたしそんなに待ってられないわ! だってお昼すぎには帰らなければいけないの!」
「まあまあ落ち着いて。この街は君のいた場所とは違うと言っただろう? 時間も、法則も、何もかもが違うって」

 確かに、先ほどレティが事実を述べたとき、そのような言葉を言っていたような気がした。気がしたけれど、マリアはそれがどういうことなのか、それが今の状況とどう関係しているのかわからない。
 分かるような説明が欲しくて、思わずレティの方へと顔を向ける。彼女は紅茶を一口飲み込んで、再び口を開いた。

「この街はあなたのいた場所と、時間の進み方が違うのよ」
「君のいた場所よりも、この街の方が早く時間が進んでいるみたいなんだ」
「……どうして、そんなことが分かるんですか?」

 目の前のふたりの顔を交互に見つめていると、クォルツが懐からひとつの時計を取り出した。カチリと音を立てて貝のように蓋が開くそれは、細やかで落ち着いた加工を施された懐中時計。クォルツはそれを開いたまま、マリアの前へと時計を差し出した。

「不思議な形をしているだろう?」

 差し出された時計版には短針と長針が二つずつ。ひと組は正常に動いているように見えるが、もうひと組は全くと言っていいほど動いていないように見えた。クォルツは時計盤の針をひと組ずつ指差して、マリアが分かるようにと説明を始めた。

「明らかに動いている針は、この街の中のもの。動いていないように見える針は、きみがやってきた世界のもの。……この時計はこの街と外の世界の時間の違いが表れるんだ」
「……不思議。これ、あなたが作ったんですか?」
「いいや、僕じゃない。この街にもともとあったものさ」

 これ以上はいいだろうとマリアの前から時計を引き上げると、さて、とクォルツは話を戻す。

「ご覧のとおり、きみの世界の時間はここより歩みが遅いんだ。それこそ、動いていないように見えるくらいにね」
「だから、貴女が心配することはないのよ。私たちも出来る限り協力するわ。だからゆっくり、トニーを探しましょう」

 二人の言葉に、マリアはゆっくりと頷く。いまだ夢見心地ではあるものの、順番に一つずつ説明をされると頷くことしか出来なかった。とにもかくにも時間はまだまだあるのだ、慌てて街中を探さなくても大丈夫。その事実はマリアをひどく安心させた。
 冷めかけた紅茶を一口飲むと、マリアはひとつ深呼吸をして自分を落ち着かせる。甘い香りと滑らかな味わいは、マリアが今まで飲んできたどの紅茶よりもおいしい。改めて二人へと向き直る。

「それじゃあ改めてお願いします。どうかトニーを探すのを手伝って下さい」

 レティとクォルツは顔を見合わせると、二つ返事でマリアの願いを聞き入れるのであった。

「さて、暫く住む場所とお洋服が必要ね。私が用意するわ。戻りましょう」
「ああ、そうだね、その方がいい。またおいで」
「はい。お邪魔しました」

 レティに続きひとつお辞儀をすると、マリアはたくさんの時計に囲まれた時計塔を後にする。柔らかな風が色とりどりの花を揺らしていった。
 ふたり分の足音が、白亜の街並みに響き渡る。