「あと一人、探してくれそうな人がいるんだけど、マリアも一緒に来る?」
「もちろん!」
あの後マリアの仮住まいに戻り昼食を取ってトニー探しを再開したものの、彼は見つからなかった。クォルツやビルに訪ねてみても収穫はなく、小さな不安と明日こそはという決意を胸に眠り、目を覚ました朝。訪ねてきたレティに持ちかけられた言葉に勢いよくマリアは頷いた。
どんな人物であろうとも、昨日の人よりはマシだろう。そんなことを思いながら一応レティに、今から会いにいくという人物についてそれとなく聞いてみる。
「そう安心して、昨日みたいな困った人じゃないから。そうね……雰囲気は、ビルに近いかしら。寡黙で、丁寧な仕事をする人よ。普段から洋服を作っているの」
「今度はお洋服を作る人なのね」
マリアはその言葉を聞いて胸を躍らせる。思い出すのはビルに会った時、レティに手渡された紙袋に入った黒い革でできた美しい靴。会いにいく人物がビルと似ているというのなら、また素敵なものが見られるかもしれない。
そうと分かれば、いっとうお気に入りの洋服で行かなくてはと両親が着せてくれた洋服を取り出そうとしたが、レティがそれを止めに入る。
「ごめんなさい、マリア。その服は貴女にとてもよく似合っていて素敵だと思うわ。でも、来ていくことはできないの」
「着ていくことはできない……って、どうして?」
「どうしてかは私も知らないのだけど……彼、赤い色をひどく怖がるの」
そう言われて、お気に入りの洋服を見る。鮮やかな赤色のワンピース型のドレスは、確かに赤い色がダメだというのなら着ていくことはできないだろう。
「そう……。残念だけど、仕方ないものね」
「ええ、ごめんなさい。代わりに私の持っている洋服の中から好きなものを選んで頂戴。どれも鮮やかさには欠けるけれど、仕立てはいいものだから」
レティの着ている洋服はどれも立派なものだと一目で分かるものばかりなので、マリアは不満の一つもなく、彼女の提案を受け入れるのだった。
仮住まいを出て時計塔を右手に、広く緩やかな坂道をゆっくりと登っていく。太陽はまだ登りきっておらず、どことなく肌寒い。
「そういえば、今から会いにいく人は仕立て屋さんで、ビルは靴屋さん。クォルツさんは時計を扱ってて、レティはアクセサリーを扱ってるのよね?」
「ええ、そうね」
「それじゃあ、昨日会ったオルフォースさんも、何か扱っているの?」
この街で出会った人物の名前とその職業を思い浮かべながら、隣を歩く少女に質問を投げかける。その問いかけにレティはびっくりしたような顔を向けた。
「ええ、確かに扱っているものはあるけれど……。彼のことには深く関わらないものだとばかり思っていたわ」
「あら、昨日のことは悪気があったわけじゃないって言ったのはレティでしょ? だったら、知りたいと思っても不思議じゃないと思ったんだけど」
「……確かにそうね。あまり関わらないほうがいいことに変わりはないけれど」
確かにあれは、彼にとってはただの戯れだ。頼んだ以上は情報は確認しに行くが、正直マリアにはもう関わらせないほうがいいと考えていた。この街で言葉を交わし、お茶を共にすることもある数少ない人物として彼女に紹介できなかったのは悲しいが、それは仕方のないことだと思っていた。
しかし天性のものなのか、出会った人と関わろうとするマリアの姿勢にレティも思わず苦笑してしまう。これはいよいよトニーが彼女を嫌っているという可能性はなくなってきた。
それで、なにを扱っているの? とマリアは興味津々に尋ねてくる。
「彼は帽子ね。といっても、作っているわけじゃないみたい。コレクションの一部を展示しているんですって」
「そうなの。確かに、素敵なシルクハットだったものね」
マリアはその返答に満足したようで、頭の中で素敵なことを色々と巡らせているのだろう。足取りはいつもより軽く、坂道を登っていくのだった。
「さあ、ここの角を曲がれば目的地よ」
広い十字路に出て右手の角を曲がり少し進んだ先に、仕立て屋と書かれた小さな看板が表に出ているのが見えた。
「ここが、仕立て屋さん……?」
そこはマリアの中で広がっていた華やかな雰囲気はなく、この街に残る寂しさを集めたような店だった。
店の窓にはカーテンが掛けられ中は見えず、周りの建物は店よりも少しばかり背が高くて日に当たることはない。店先にあるプランターには小さな花がいくつか咲いているが、手入れはされていないのだろう。雑草が好き勝手に生えていた。
どこか不気味さを漂わせるドアを、レティはためらうことなくノックした。
「アルノス、いる? 少し話がしたいの」
ノックをして暫く待つも、中からは物音ひとつしない。思わず二人で顔を見合わせる。
「出かけてるんじゃない?」
「それはないと思うのだけど……。彼が出歩いてるところなんて滅多に見ないもの」
そんな言葉を交わしていると、キィと小さく金具の動く音がした。そして目の前の扉がゆっくりと開かれる。
「よかった。やっぱりいたのね」
「……レティか」
半分ほど開いたドアから顔を覗かせたのは、憂鬱な雰囲気をまとった黒髪の青年だった。ちらりと彼女の後ろにいるマリアに視線を向けると、先ほどと変わらぬ平坦な声で問いかける。
「そっちは誰だ」
「マリアよ。猫を探して、迷い込んでしまったらしいの。そのことで少し話をさせて欲しいのだけど」
「あの、お願いします。お時間は取らせませんから」
二人の少女に頼み込まれ、アルノスと呼ばれた青年は大きくドアを開いた。そのまま中へと戻っていくところを見ると、彼なりに入室を許可し、案内をしているようだ。
「お邪魔します」
何も言わず彼の後を付いていくレティに続くマリアは、小さくお辞儀をしておそるおそる店の中へと足を踏み入れた。
「わあ……」
店内は暗かったものの、そこかしこに灯るランプの灯りであたりの様子ははっきりとわかる。沢山の色、違う質感の生地。レースやリボン、それらを縫い付ける糸や針が丁寧にしまわれている。それらの詰まった棚の反対側の壁にはマネキンが並び、人形たちに着せられた服はどれもシンプルでありながら可愛らしいデザインのものが多かった。
所狭しと並べられる装飾を見ても生地を見ても、そこには赤い色は一つもなく、彼が赤色を嫌うというのはどうやら本当らしいことが分かる。紳士服よりも女性ものが多く並ぶのなら赤色はきっと映えるのにと、マリアはそのことを少し悲しんだ。
カウンターを挟んだ店の奥へと進んでいくと、質素なテーブルに椅子が二脚。そのうちのひとつにレティが腰掛け、アルノスは窓際に立ってマリアが座るのを待っていた。窓には入口のドアと同じようにカーテンがかかり、部屋は薄暗いまま。テーブルに唯一置かれた燭台にある短いロウソクの灯りだけが、ゆらゆらと周囲を照らしている。
スカートの裾をつまんで家主にひとつ挨拶をすると、マリアは用意された席へ腰掛ける。
「どう、彼の工房。素敵な洋服があるでしょう?」
「ええとっても! 凝ったデザインじゃないのに、すごく可愛らしいものばかりで。素敵な人が多い街ね」
レティの言葉に頷きながらアルノスへと感想を伝えるが、依然として彼は押し黙ったままだ。隣の少女は微笑んでいるけれど、ひょっとすると彼の気分を害してしまったのだろうか。
マリアの不安な表情を見て、レティは彼女の耳元でひっそりと囁いた。
「大丈夫よ、照れてるだけだから」
「……それで、話の内容は」
レティの言葉を肯定することも否定することもなく、アルノスはそう切り出す。そうだったわね、と居住まいを正して、レティはここに来た経緯と頼みごとを説明するのだった。